第6次訪中公演を報じる両大学の大学新聞

暁庄師範大学首頁新聞

日本紫金草合唱団、本学と共同で記念音楽祭を挙行

 

 1213日夜730分、「歴史を忘れず、未来に面と向う」を合唱団のモットーとする日本の民間合唱団――紫金草合唱団一行150余名が本校を訪問して、本校の教員学生と共に「紫金草の春」――記念音楽会を催した。大学党委員会副書記朱志仁、副院長周昌宝、洪平および南京市外事弁公室幹部が音楽会に出席し、本学の関連部門責任者、学部学科責任者と1000余名の教員学生が共に公演を鑑賞した。これは紫金草合唱団第6次訪中公演である。

 コンサートにおいて、日本紫金草合唱団は戦争に対する反省と平和に対する希求という深い想いをこめて、全12章よりなる平和の歌曲で構成された合唱組曲「紫金草物語」を歌い上げ、観客席にいるすべての聴衆を深く感動させた。本学大学生芸術団と音楽専攻の教員学生も「江南春(長江南岸一帯の春景色)」、「剪紙姑娘(色紙切り絵を作る娘)」などの優れた曲目を公演し、音楽会は紫金草合唱団と本学千名の教員学生が「平和の花、紫金草」を合唱する声に包まれ成功裏に幕を閉じた。(日本語訳 Birdwell)

 

上海師範大学首頁新聞   

上海師範大学学徒、日本紫金草合唱団と共に平和の歌を

          編集者:楊雪

                  日時:2007-12-17

 1216日、上海師範大学の招請と受けて、「歴史をしっかり記憶して(忘れずに)、未来を展望する」をモットーとする日本の民間合唱団――紫金草合唱団団員123名が本校を訪問して、本学の老年大学合唱団、行知少女(少年)合唱団と舞台に出演した。特別コンサート「紫金草物語」は本学の第二回国際芸術祭シリーズ活動の一環であり、その趣旨は南京大虐殺70周年および日中国交正常化35周年を記念することにある。国際交流センター責任者をはじめとする教員学生がこの公演を鑑賞した。

 当日の夜、日本紫金草合唱団団員は手に「愛と平和」を象徴する紫金草を持ち、平和の鐘を打ち鳴らし、12章の歌詞で構成された『紫金草物語』を高らかに歌い上げた。歌曲はメロディーが優美であり、歌詞が人々の琴線に触れて、あの一連の悲痛な歴史を再現したことにより、その場にいた聴衆は歌曲に籠められた誠意ある懺悔に感動させられて次々と涙を流していた。プログラムの中で、本学の老年大学合唱団と行知少女(少年)合唱団がそれぞれ「麗しき処へ行こう(去一個美麗的地方)」、「ソーラン節(拉網小調)」、「ジャスミンの花(茉莉花)」などの古典的な民間歌謡を歌い、観客席からしきりに拍手喝采を浴びていた。

 紹介によれば、日中戦争期に山口誠太郎という一人の日本兵が南京の紫金山の麓で採取した「二月蘭(紫金草の中国名)」の花の種を日本に持ち帰り、それを「紫金草」と名付けた。戦後、彼は家族の者と戦争に対する反省と平和に対する祈願を懐きつつ、この花を日本各地に普及させていった。この紫金草の故事に感動させられて、日本の作詞家である大門高子女史および作曲家の大西進氏がそれに基づいて合唱組曲『紫金草物語』を創作し、かつその合唱団を組織した。日本各地の民間の合唱団は争ってこの曲の合唱を公演し、日本の侵略史を正しく認識しようと呼びかける多くの集会、とりわけいくつかの教員による歴史シンポジウムや高中小学生の歴史学習会において、この組曲はさらに人々に歓迎される曲目となり、この紫金草組曲に熟達して歌唱することのできる人々はすでに1600人余りに達している。合唱団のメンバーの中には、教員、医師、技術者、退職労働者および家庭主婦がおり、彼等は日本全国各地からやって来たけれども、共通した願望を擁している。即ち、「戦争を人類より遠ざけ、愛をこの世に押し広め、日中両国人民が幾世代にも亘って友好的であり続けたいと祈願する心の声を永遠に歌い伝え続けていく」ということである。

 「彼等は専門的なプロの歌手ではないけれども、私は彼らの歌声の中に懺悔と謝罪の気持ちを実感することができ、本当に感動させられた!」と数日前に「12・9」運動(1935129日に中国の大学生が国民党の蒋介石に対して内戦を停止して共産党と共に日本に対して積極的に戦闘するように呼びかけた運動)記念特別公演を見終えたばかりの謝晋学院(中国を代表する映画監督の名を冠した上海師範大学に直属する映画テレビ関連実務者を養成する学院)学生の張君が感慨深げに語っていた。(胡雪縁記者) ((日本語訳 Birdwell)

 

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