全国紫金草合唱団

第6次訪中南京・上海公演

南京大虐殺70周年祈念式参列

07.12.12〜17 

 

  今回の日本紫金草合唱団は全国12の合唱団からサポータ29人を含め167人の参加という史上2番目に大きな訪中団となりしました。今年は1937年の南京事件から70周年にあたり、8000人が世界から集まる大規模な追悼式・祈念館拡張完成式典が南京虐殺祈念館広場で行われました。これには日本から600人が参加し、内150人を紫金草合唱団が占めました。
 日本で集めた1000万円の寄付によって、平和公園の中に5000平米が確保され今建設中の「平和の花園(紫金草の花園)」の前で献歌をしました。そこには今年3月に今次訪中の先遣団が鍬入れ式を行い、9月に花園の会のメンバーが種まきをした日本から里帰りの紫金草の芽が出て育っていました。

 改装された祈念館の面積は3倍になり、中には「紫金草のコーナー」が設けられ、紫金草にまつわる各種資料が届けられ展示されます。そのひとつに年中紫金草の花が見られるように、花園の前で祈念館館長に紫金草のアートクラフトの花束を贈呈しました。

 平和公園の中に「紫金草の花園」をつくり、改装された祈念館に「紫金草のコーナー」を設けることを南京市は決めました。このことは日中友好と平和運動にとって「紫金草」が大きく貢献できるものとして評価した結果であり、紫金草への絶大な期待がこめられていることを見逃すことは出来ません。

 翌日は3倍の広さに改装されて展示の写真も6倍の3500枚に拡充された虐殺祈念館を見学しました。虐殺祈念館は1937年の大虐殺の1つの発掘現場を取り込んで建てられており、骸骨も重なって埋められていたものがそのまま移設され展示されています。旧日本軍の行った目を覆いたくなるような写真、遺物、模型、当時の日本の新聞記事・画報なども多数展示され、反日的な印象を与える露骨な表現を前より減ったとはいえ、事実は事実であり、「南京事件はなかった」などという一部日本人の発言がいかにデタラメな嘘であるかを暴いていました。

 南京の暁庄師範学院・上海の上海師範大学では「紫金草物語」などを演奏し、学生はよく聞いてくれ、よく世話もしてくれました。南京では公演して帰るとき長い人垣を作って見送り、日本語学科の学生が感想文や友好の言葉などを書いた手紙を鶴に折って一人一人が団員に渡してくれたりしました。海を越えた花の種の生み出した日中の交流、大きな感動を与える演奏・交流会となりました。

 

 主な行動          

日軍侵攻南京大虐殺70周年祈念追悼式
虐殺記念館拡張工事完成記念式  式典参列
紫金草平和の花園前で献歌、
祈念館見学

12月13日
12月14日

南京曉庄師範大学公演

12月13日

上海師範大学公演

12月16日

 

                  


 

 

 追悼式に向かう人波

 外国代表、南京事件の生存者・遺族などが入場

 

 70周年祈念追悼式と拡張工事完成記念式に参列             

大虐殺受難者遺族

 

 

日本紫金草合唱団として独自に犠牲者に献花し 

 黙祷を捧げました

 

平和の鐘をつく団員

  現地の新聞報道

  

 「平和の花園(紫金草の花園)」

平和の花園には今年9月に花園の会のメンバーにっよって一部紫金草の種撒きが行われ、小さな紫金草が芽が育っていました。

 南京政府は紫金草の花園のために5000平米を当て、祈念館内には「紫金草コーナー」を設置しました。

 

 

 虐殺祈念館の館長は「平和を象徴する紫金草の背後には感動的な物語が隠されている。紫金草の平和の精神は南京、日本、世界に広がっていくだろう」と挨拶しました。

  中日両国の友情を象徴する紫金草のアート
 クラフトを
記念館館長に贈呈しました。

「歴史を忘れず、未来に目を向ける」というスローガンを掲げ、紫金草の花園の前で、平和の鐘を鳴らし、「平和の花、紫金草」をうたいました。

花園参加者

全参加者

南京の暁庄師範学院公演

上海師範大学公演フィナーレ

暁庄師範学院公演フィナーレ

そろった声の上海師大老年大学合唱団

      上海師範大学の学生 感想文はコチラ

         日本紫金草合唱団の公演を報道した            両大学の大学新聞記事はコチラ

 第6次公演は70周年にあたる年でした。日本陸軍衛生材料廠の廠長として南京を視察した山口誠太郎先生が、この地から紫金草の種を日本に持ち帰ったのは70年前の南京大虐殺の直後でした。その種が贖罪・鎮魂・平和の願いこめて今日本中に花が拡げられ、そのことを歌う全国の仲間たちが日本紫金草合唱団として願いを込めてこの地に立ったのです。ある団員は語りました。「式典に哀悼のサイレンが鳴り響いたときには 涙があふれました。二度とこのようなことがありませんようにと 祈りました。そして、どうか やすらかに眠ってくださいと・・・。」