全国紫金草合唱団

第7次訪中南京公演

南京理工大・虐殺記念館

参加63名、2011.3.25〜27


  今次の第7次公演は訪中公演の10周年に当たります。実施の直前に東日本大地震は起こり地震・津波のため大きな被害があり、そこに住む団員も少なからぬ影響を受けました。こんな時に行くべきではないという考えも理解でき、事務局では悩みました。そして命を大切にせよということでは被災者への配慮も南京で鎮魂と平和の歌をうたう事もどちらも大事だ、消極的にならず元気のあるものが今こそ元気を示す時ではないか、などと話し合われ、困難をのりこえて訪中公演を実施する決定が行われ、約10名の参加困難なメンバーを除いて63名で訪中し感動的な公演や交流を行って来ました。


 理工大学側は龍の踊りはじめ沢山の舞踏や演奏で歓迎してくれました。公演の先々で、地震・津波の犠牲者への哀悼や被災者へのお見舞いと同時に私たちへの心からの感謝の言葉を受けました。
 紫金草合唱団としてここ10年間、国内はもとより、中国で歌い続けてきたきましたが、宮城の参加者から「震災被災者を励ます歌や募金やボランティアなどできるあらゆる行動を全国で展開しましようという、宮城うたごえ協議会のアピール文」を受け止め、早速第7次訪中団として、募金を集め
14万円を義援金として宮城からの参加者に託しました。

 今回の紫金草の演奏ではメインであった理工大で、初めて安藤先生の編曲による上海在住日本人愛楽楽団の協力によるオーケストラの伴奏が実現しました。
 
南京虐殺記念館「平和の塔下」での記念館来場者を対象とした演奏は初めての試みでした。また一部のメンバーながら中山公園の野外音楽台で「心声合唱団」と、江蘇省歌舞団で「愛の旅」合唱団との演奏交流を行い、大きな収穫がありました。

  

           南京理工大学で日本紫金草合唱団と上海日本人オーケストラとの共演

 

南京虐殺記念館平和の塔下で演奏

準備した400枚の中文紫金草物語の歌詩と楽譜のプリントがなくなりました。

 

 終演後・主な出演団体一緒に



現地の新聞報道

 

 南京晩報

金陵晩報

 

 


震災救援募金


 今回の地震津波による大災害のあった宮城の被災者の方々に対し、訪中公演参加の皆さんから集まった14万円の義援金が宮城からの参加者に託されました。今後も全国の各紫金草合唱団でそれぞれに支援の活動に取り組んで行こうとの声かけが行われました。  

写真集

 3・26日本紫金草合唱団と

 上海在住日本人愛楽楽団の

 合唱組曲「紫金草物語」
      ー不忘歴史 面向未来

 

 終演後ステージで

  

 ソリスト・ベルマン・ナレータ・ピアニストの皆さん

 理工大学生の勇壮な龍の踊り

    今年は金の龍

    これを踊ると体育の単位がもらえる

 理工大学生・民族舞踏

      「肖花旦」のダンサーたち

 鐘声合唱団

 演壇は狭くてきついが中国の人は文句は言わない

日本紫金草合唱団と鐘声合唱団の合同演奏

 平和の花紫金草、海は故郷

 終演後・無数のカメラにポーズ

 理工大平和園

  2006年水杉園から平和園に平和を願って改称

  3000本の水杉(メタセコイヤ)の下に紫金草が群生する様は壮観

 バス車窓からの動画(画面下で操作)
  
  

 中で写真を一枚

 虐殺記念館で大虐殺幸存者・夏淑琴さんの訴えを聞く。
 身体中に日本兵につけられた傷の痕が今も残る。
大虐殺はでっちあげという日本の輩を相手に裁判 で戦い、勝利しました。日本政府はまだ反省していないのです。

 紫金草の花園

 花園建設の会が2007年3月1000万円を集めて寄贈したのは土質が悪いのか、育ち方にむらが多い。世話の担当者を作ってきちんと手入れをします、という話だったが。

 

 虐殺記念館

高さ50mの大理石の平和の女神像

 記念館平和の女神塔下で紫金草物語を演奏

 掘りの向こうには、3〜400の聴衆

 

 12章できれいな声が返ってきた

  成田組が25日中山公園野外音楽台で合った心声合唱団の皆さんだ。

 団員アップ

 関空組の心声合唱団との懐かしい対面

 次々大合唱が起こる。

 3・27 オプション@

江蘇省・愛の旅合唱団と交流

 五月人形をプレゼント

 

 平和の花紫金草は所見でばっちり、素晴らしい声量のある合唱

オプションA

  南京学生とロープウエイで登山交流
    (写真は金沢中村さん撮影)

  

 3・25関空組は1日遅れて南京到着

 新装の古南都飯店

 3・27解団式