全国紫金草合唱団第5次訪中南京公演

06.3.26〜27


日程

○南京理工大学との交流会 

   326日(日)19:00〜   大学内交流センター

   日本紫金草合唱団、 南京理工大学合唱団双方が「紫金草物語」演奏

    日中双方からの民族的な出し物な出し物

  ○市民のアマチュア合唱団「心声合唱団」との小さな交流会

    327日午前(成田発組、関空発組の一部が参加)

中山陵公園野外音楽堂

    南金大学での演奏・交流

     327日(月)14:00〜    南京大学

     日本紫金草合唱団「紫金草物語」全曲演奏

旅程  関空発組 3月24日〜3月30日  成田発組3月25日〜3月31日

参加予定人数 関空発88名 成田発53名 福岡発3名 上海参加1名

                          計145名  3月23日現在 

 

 

3月23日 関東ネットワークの熱い取り組み

 東京紫金草合唱団 宇都宮充子

  

  この間、7回の合同レッスンに宮城・茨城・千葉・東京・神奈川と5県7合唱団からの参加がありました。レッスンの合間に南京公演参加の思いを語ってもらいました。20代の青年は、「色々な国に友達を作れば友達がいる国とは戦争はしないでしょう。だからたくさんの国に友達を作りたいです」。ある女性は「義父は中国に戦争に行った重い体験を書き残そうとしたが、思い出したくなかったのか未完成のまま父は亡くなってしまいました。また、義父の戦友は軍人恩給を一円も使わず貯め、中国で小学校を作るために寄付したとのこと。そんな思いを胸に込めて行きます」。

今回、千葉愛!合唱団3回、東京紫金草合唱団2回の練習日に合同レッスンを兼ねました。これには南京公演に参加したくても参加できない団員も取り組んできました。(最多は46人)このうねりを関東のうたごえ交流会につなげようと思っています。

 

        

 

 

南京虐殺祈念館訪問

3月24日、25日

 

日本から紫金草合唱団員148名が南京に到着、関空発組は直ちに虐殺祈念館に

 

 

祈念館前で献花し「平和の花紫金草」を献歌

 

           

1937年戦時下の日本軍は上海から、当時の首都南京に攻め入り、暴行、放火、強奪、強姦、殺人の限りを尽くし、30万人の虐殺を行いました。その遺跡の発掘現場は今も保存され、それを囲んで祈念館が建てられています。図は城壁で囲まれた南京市に点在する虐殺の遺跡。長江(旧揚子江)沿いに多いのは何故か。

 

骨がそのまま厚いガラスで保存される発掘現場

 


 

 理工大学和平園除幕式

水杉園から和平園へ

 

 南京理工大学の正門をバスで入り、1000本の水杉園の足元で満開を咲き誇る見渡す限りの紫金草を目にしたとき、団員たちは、そのすばらしさに、一瞬「わあっ」と歓声を上げました。

 旧日本軍は紫金山の麓に指令部を構えましたが、それが丁度今の南京理工大学の位置に当たり、施設の一部は大学構内に今も残っています。そして山口誠太郎さんが種を持ち帰った紫の菜の花はここの花に間違いがないと考えられています。

 日本軍の南京侵攻の拠点となったこの庭は大学の緑化委員会によって近年「水杉園」と名づけられて(写真左)2月蘭(紫金草)とともに守られてきました。

 , 

  ところが、この大学のM先生、D先生らはここの花を「平和の花」と呼んで歌を拡げている合唱団が日本にあることを知り、「是非自分たちもその歌を歌いたいものだ」と私たちを探し当て、いろんな努力をされる中で、この水杉と2月蘭(紫金草)の庭を「水杉園」から平和の花園「和平園」(日本語で平和園)と呼び方を改め、そのモニュメントの除幕式がコンサートのリハーサルに先立って行われました。日本紫金草合唱団員は花一杯の林の中を散策した後、除幕式に参列し「平和の花紫金草」を献歌しました。

  副校長さんは「平和は人類全体の願いです。中国国民も政府も平和を愛しています。それには平和教育が重要な位置を占めています。この『和平園』は平和教育への私たちの決意をあらわしているのです。」と語られました。それは私たち紫金草合唱団の運動理念「不忘歴史、面向未来」と通じるものといえるでしょう。  

   理工大学交流会

 

 

日本紫金草合唱団は「紫金草物語」全曲(全12章)を演奏

  日本全国(仙台、石岡、千葉、東京、神奈川、金沢、奈良、大阪、広島、福岡など)から集まり100名が出演。バイオリンソロは新潟から上海の大学に留学中の松本哲郎さん。

 

理工大紫金草合唱団は「紫金草物語」の5つの章を中国語で演奏

  学生たちは120人全員が将来3年間は理工大学生として歌い続けることが保障される1年生。このコンサートを契機に募集され結成された、海外では唯一の紫金草合唱団。

日本紫金草合唱団と理工大小編成グループの合同演奏

  紫金草にちなんで花の歌2曲。日本からの曲は滝廉太郎の「花」、中国からは「ジャスミンの花」。滝廉太郎の「花」の歌詞は「げに一刻も千金の眺めを何にたとうべきべき。」と一緒に歌い、ついで「ジャスミンの花(モーリファン)」を中国語で一節歌ったとき客席から割れんばかりの拍手がおこりました。「モーリファン」はここ南京地方で古くから歌い継がれている曲なのです。

 

 

 

 

お国の出し物コーナー

  日本側からは同行した日本一の合唱団「昴」の「三十石舟」「白樺」などが出され好評でした。中国側からは器楽演奏・小編成コーラスの「相思」・「竜踊り」などがあり、特に「竜踊り」は男子学生10人で操る竜のさまざまな流麗な動き、スピードがあって見ごたえがある妙技でした。これは授業の単位になるとか。

  

  私たち日本紫金草合唱団の運動に呼応して「紫金草合唱団が設立」され、「水杉園が和平園に改称」されたという事実は、理工大学の教職員・学生の平和へ強い思い、私たちの運動への連帯を表明するものとなりました。

                                              

南金大学交流会

 

  2日目は伝統のある南京大学大礼堂(大講堂)で、日本語学科の学生はじめ教職員、近隣の大学の日本語学科学生などを前に日本紫金草合唱団と昴が演奏。

 

演奏後大礼堂前の広場に出て交流会。

 

感想文

 南京理工大学感想

●5年前新聞で紫金草のニュースをはじめて見

た時に、昔山口さんがきっと私たちの学校の近

くで花の種を取ったと思いました。ここは紫金

草のふるさとですよ。なんとか日本紫金草のみ

なさんと連絡を取って、私たちの学校内の花畑

を見に来てほしい、ここで平和の歌を歌ってほ

しい、という願いがやっと今回で実現できて、

本当にうれしいことでした。学生たちにもよい

教育のチャンスを与えました。一回きりではな

くて、今後もまた私たちの大学に来てほしいで

す。いつでも紫金草のふるさとに歌いに来てく

ださい。平和園も皆様を待っています。

                           (宮先生、田先生) 

●この内容とは知らずに聞きに来ました。聞い

て驚きました。日本人民はみんな中国に友好だ

よと教えられてきましたが、最近はそうかなと

疑っていましたが今日ははじめて実感できまし

た。大変感動しました。皆様に心から敬意と大

きな拍手を送りたいです。    (一教授)

●組曲を聞いていた時、涙がずっと出ていまし

た。歌の内容と皆様が真心を込めて歌っている

様子に大変心打たれました。日本人も中国人も

みんな気持ちは同じだなと感じました。わざわ

ざ歌いに来てくれた皆様に感謝しています。                                              (退職した教師)

●合唱団の方々は日本全国民の意識を代表して

いるとは言えないかもしれませんが、私たちに

希望を与えました。平和の信念はなお、多数の

日本人の心の中に存在しているんだなと。銃声

が再び中日の間に響かないことを祈っています

                (男子学生)

●自分の学校に咲いている花は平和の花だと始

めて知りました。誇りに思っています。今日の

コンサートの内容は大変すばらしかったです。

ぜひほかの大学にいる友達にも伝えたいです。

               (女子学生)       

●皆様の歌唱力はすごい。プロ並みですよ。い

つもいろんな地域で歌っていると聞いていっそ

ううれしく思いました。ぜひ歴史を正視できな

 い政治家たちにも聞かせて上げたいですね。                          (音楽の先生)

●私は日本の国民の教養が大変高いと聞いた事

があります。高齢者の皆様が昔の歴史に関心を

持ち、このような形で平和への願いを表現する

ことも、教養の表しだと思います。心から感心

しました。           (副校長)

●歌を通じての皆様の気持ちをすごくうれしく

思いました。もう七十年前の事件だし、皆様と

関係がないですよ。今回来てくれた皆様はみん

な良心のある人だなと感じました。      

               (男子学生)

●最初は日本の公立の合唱団と思ったら、大間

違いでしたね。皆様が自費で来られた点にすご

く感心しました。私たちも最大限の歓迎をしな

くてはと思いました。私も感動して、より一所

懸命に歌いました。   (歌い手の女の子)

●私は今まで日本に対してあまり好感を持って

いませんでした。隣国で悪いことをしたのに認

めない国で、尊重できないと思っていました。

しかし、今日の組曲を聴いて、尊重されるべき

の日本人も大勢いるということをはじめて知り

ましたから、竜の踊りを踊る時の気持ちまで変

わりました。忘れがたい交流会でした。                        (竜の踊り手の男子学生)

    

 

●コンサートを大変感動的なものでした。娘の

やっている仕事は有意義だなと思いました。今

後も全力を挙げてサポートしますよ。

              (孫曼の両親)

 

 

南京大学感想文

〜南京で紫金草合唱団を聴いて〜

         南京大学日本語学部外教専家 斎藤 文男

◇「むらさき花だいこん」物語を授業で朗読◇

 2006年3月27日、南京大学日本語学部で紫金草合唱団の演奏会が行われる前に私の授業(本科3年生「日本語写作」)で、「むらさき花だいこん」の物語を朗読しました。1年前の3月にも南京大学日本語学部の全学生との交流会がありましたが、当時の3年生が中心でした。現在の3年生は当時2年生で交流会に参加しなかった学生もいたため、演奏会の前に改めて紫金草にまつわる話と、紫金草合唱団のことを説明しました。

 教壇で「むらさき花だいこん」の物語を朗読したときは、ちょっぴり目が潤んでしまい、本で顔を隠しながら読みましたが、学生たちは神妙な面持ちで聴き入っていました。

 演奏会当日は、南京大学外国語学院(日本の大学の外国語学部に相当)をはじめ、外事弁公室、日本語学部や日本語学部の中国人の先生方、大学院生や4年生など多くの方々の協力を得ました。当日授業があった先生には、授業の一環として演奏会に参加していただくようお願いして、快く承諾していただきました。

 日本語学部の学生だけでなく、全学に看板や掲示板で広報したため、OBの先生方や一般の人たちも聴きにきてくれました。

 演奏会では、進行方法にもっと演出があれば、合唱もさらに映えたのではないかと残念に思いました。しかし、学生たちは真剣に耳を傾け、大きな感動を与えたようでした。それは、私の「写作」の授業で、「紫金草合唱団の演奏会を聴いて」として出題した作文の内容からもうかがえます。

 

◇素晴らしい学生たちの感想文◇

 「写作」は日本語で800字前後、書いてもらいました。内容はどれも素晴らしいものばかりでした。「写作」の授業は、昨年9月の新学年から始め7カ月になり、日本語の文章もかなり上達したこともありますが、作文の内容がよかったのは、合唱を聴いた感動が大きかった結果だと思います。

 

学生が綴った作文の要旨は次の通りです。

 

☆日本人にもやさしい人がいた☆

@今度のコンサートは大成功だったと思います。これを通して私は中日両国の明るい未来を見ました。両国とも平和を望んでいる人がたくさんいます。私は合唱団の人たちと交流することによって、私は日本人について考え方が変わってきました。中国人も日本人も同じ人間で、日本人もかなりやさしい人が存在していることが分かりました。(男子学生)

☆私たちに希望を与えました☆

A合唱団の方々は日本全国民の意識を代表しているとは言えないかもしれませんが、私たちに希望を与えました。平和の信念はなお、多数の日本人の心の中に存在しています。銃声が再び中日の間に響かないことを祈っています。(男子学生)

 

☆紫金草物語に深く感動☆

B紫金草合唱団の公演はとても素晴らしく、「紫金草物語」も人を深く感動させるものでした。今の中日関係は1972年以来、一番厳しい状態です。でも、紫金草合唱団の演奏や物語から、私たちは小泉純一郎政府が日本国民の態度を代表できないことが分かりました。(男子学生)

 

☆中日両国の平和と友好のため頑張ねば☆

C大学で3年間日本語を勉強し、日本人と交流する機会がたくさんありました。この日本人の人たちはとても優しくて親切でした。今度の紫金草合唱団の人たちにはもっと感動しました。100人以上の中高年の人たちが、自費で海を越えてわざわざ中国人に謝罪するとは本当に思いませんでした。大学生として将来、紫金草合唱団の人たちに負けないよう、中日両国の平和と友好のために頑張らなければならないと思いました。(男子学生)

 

☆日本国民全体の心に紫金草が生えてほしい☆

D「紫金草」のメロディが講堂に響きわたると、私の胸はそれに打たれた。平和を唱えている人たちが集まって、この歌を通じて自分の心の声を伝えている。戦争加害者の被害者として、つまり同じ戦争の被害者としてこの歌を歌っている。この歌の聞き手、戦争の被害者として私は共鳴しないわけにはいかない。

 平和の花――紫金草。その種は紫金草合唱団のメンバーの心に生えるだけでなく、日本国民全体の心に生えてほしい。(女子学生)

 

☆心の隔たりを取り除いた紫金草☆

E紫金草は国と国、心と心の隔たりを取り除いたようだ。それに、花よりいっそう美しいのは、人々の真心がこもった歌声やお互いによく理解する微笑だ。言語はほとんど通じないけれど、その無声な微笑みは何より両国の人々の心をしっかり結びつけている。

 紫金草の歌は愛の歌だ。それは硝煙立ち込める戦場を乗り越えて、平和を愛する人々の心にこっそり響いてくる。紫金草は廃墟から芽を出して、春の風に乗って各地に、そして人々の心の中に種を蒔く。一輪の花は一つの物語で、血の涙のストーリーを伝え、歴史の教訓を学び、そのような悲劇を二度と起こさないように警鐘を鳴らし続ける。(女子学生)

☆平和の大切さを感じさせる花だ☆

F戦争と分かれる象徴として紫金草は今、南京にあるだけでなく日本にもたくさん生えているそうだ。本当に嬉しい。紫金草は人間が戦争で傷つけあうことを忘れさせ、平和の大切さを感じさせる花だ。日中の友好を願い、一緒に歌おう。「フォーピンディホァー ツーチンツァオ‥‥」。(男子学生)

 

☆歌いながら涙が溢れる人も☆

G紫金草合唱団の人たちは、若い人たちがたくさん集まっているのだろうと思っていた。ところが、日本から来た団員はおじいさん、おばあさんたちだった。しかし、若者に負けない生気はつらつとした様子に大変感動した。歌いながら涙が溢れてくる人もいた。

 合唱が終わった後、私たちと交流会を開いた。私は金沢市紫金草合唱団の何人かと交流した。5月に金沢市内で公演があるそうだ。私はEメールで金沢市にいる友達に伝えようと思う。紫金草の物語がもっと多くの人々に知られてほしいからだ。日本でも、心から戦争の罪や中国人に犯した過ちに目を向けて反省している人がいるのだ、と初めて分かるようになった。(女子学生)

 

☆両国の土地と人々の心の中に満開となれ☆

H紫金草合唱団のおじいさん、おばあさんたちは、下手な中国語で一生懸命歌っていた。本当に感動した。美しい声のためだけでなく、中日友好に努力していることにも感動した。今、中国と日本の関係は国交回復以来、最悪の状態となっている。日本政府のやり方が、日本人全部の考えだというわけではない。歴史を直面して中日の友好を望む日本人もたくさんいると信じている。紫金草は中国と日本の土地にも、両国の人々の心の中にも満開となることを望んでいる。(女子学生)

 

☆平和への願いを宣言してくれた☆

I紫金草合唱団は去年も今年も、我が南京大学に来てくれた。歌の内容は南京大虐殺とかかわりがあり、紫金草は平和の象徴である。日本人が大虐殺を口にすることは、私の知っている限りめったにない。だが、合唱団の方々は進んでこの話題を持ち出し、平和への願望を私たちの前で宣言してくれた。

 やさしい日本の民間人も、意地を張っている日本の政府筋も、日本の代表としてはならない。日本人もわれわれ中国人も、歴史に対して、悪いこともあった、よいこともあったということに勇気を出して直面しなければならない。(女子学生)

 

☆紫金草を戦場に咲かせてはならない☆

J中国の地理教科書ではいつも「中日は一衣帯水の隣邦」と述べている。確かに中国と日本の千年以上の関係は、世界のどの国にも比べものにならないほどだ。戦争は近代のことだ。しかし、戦争の原因は両国民にはない。なぜ仲良くできないのか。このまま行けば、両国には何の利益もない。東アジアをヨーロッパやアメリカと並べさせるために、中日は協力する道しかない。戦争で亡くなった人たちのいのちを無駄にするな。この紫色の紫金草はその人たちの夢だ。両国が永遠に平和で、両国国民がずっと幸せに生活するようにと祈っている夢だ。紫金草は毎年咲いている。この美しい花を戦場に咲かせてはならない。(男子学生)

 

☆紫金草は平和を愛する人たちのようだ☆

K紫金草合唱団の年配の人たちは、歌を歌って私たちに紫金草の物語を連れてきた。戦争がなければ、中日の人民は常に一緒にお茶を飲み、詩を作り、花を見、歌を歌い、楽しく過ごし続けるはずだ。戦争が起こり、元々友達であるはずの二つの民族は仇になった。

 紫金草は平凡で目立たない野草だが、中日民間の平和を愛する人たちのようだ。紫金草は来年、再来年、年々変わりなく咲く。平和を愛する人たちの心は、過去、現在、未来にも変わらない。(女子学生)

 

☆紫金草には高慢な態度がない☆

L紫金草合唱団の演奏会には残念ながら行けなかった。後で資料をもらった。「紫金草物語」というタイトルに引き付けられた。文章を読んで感銘を受けた。紫金草には高慢な態度がない。どこに行っても、大事にされなくとも、笑顔で咲くことができる。平和の花という名は紫金草に相応しい。

 中日間が今、ギクシャクしているのは相互理解が足りないことによるところが大きいと思われる。友好というのは決して「高嶺の花」のようなものではない。政治経済だけではなく、一般民衆の広い分野での交流によって進められるものだ。これからは、個人個人の小さい力を合わせて平和の種を蒔いて、野花のように所々に咲かせることが必要だ。(女子学生)

 

☆教師になったら紫金草の心を学生に伝えたい☆

M紫金草合唱団のみなさまは、きれいな声で12曲の歌を歌ってくださいました。ほんとうに素晴らしい公演でした。公演は1時間だけでしたが、内容は豊富でした。独唱もあれば、合唱や朗読もありました。もっと重要なのは、紫金草合唱団のみなさまはその形式を通じて、「歴史を忘れず、未来を展望しよう」という願いを表しました。

 実は私は日本政府の政治行為は心では理解できますが、中国人としては本当に受け入れることはできません。だから、紫金草合唱団のみなさまが自費で中国に来て公演してくれた行動には心から感心しました。歴史を忘れず、誤りを隠さず、未来を展望すればこそ、将来の道へより長く歩むことができます。将来、私は教師になったら、その心を私の学生たちに伝えようと思います。(女子学生)

 

☆プロの水準の歌声に感動☆

N紫金草物語を初めて聴いたのは、ちょうど去年の今頃だった。紫金草合唱団の人が、南京大学で私たち日本語学部の学生と交流した。紫金草という花もその時初めて知った。今年は合唱団の多くのメンバーが来てくれた。歌を聴く前に、このようなおじいさん、おばあさんはどれだけよく歌えるのかなあ、とちょっと疑っていた。しかし、聴いてみると、アマチュアの合唱団でありながら、プロの水準を持っていると感動した。

 交流会では、おじいさん、おばあさんたちがこれほど明るくて親切だとは想像もしなかった。中日両国の平和を心から願って、私たちよりも積極的に交流していた。本当にありがたいことだと思う。(女子学生)

 

◇授業で自作の文を全員が発表◇

 学生たちは、歌を聴いて受けた感動を素直に文章にしました。私は授業で、「文章を書くには、自分で感動しなければ文章にも感動が表れない。感動がない文章は読んだ人も感動しない」と話してきました。自分で感動し、その気持ちを文章にすれば、読む人にも必ず感動を与えることができることを授業で主張してきました。

 学生たちは演奏に感動するとともに、演奏会後に行われた交流会でも、団員の人たちが積極的に学生たちと接触したことも大きく感銘を受けたようでした。

 

 学生が書いた作文は、他の学生にも内容が参考になるよう、全員に一人ひとり前にでて発表してもらい、私が講評しました。発表が終わるたびに全員から拍手がおきました。私は毎回、作文の後に300字から400字ほどの感想と点数を付けて学生たちに返却しています。

◇燎原の火になれ紫金草◇

 紫金草の作文に対する私の講評と感想は概要次のようなものです。

 日中関係は今、国交回復以来、どん底の状況にあります。小泉純一郎首相が意地を張って靖国神社に参拝していることが最大の理由です。これに歴史認識や教科書問題などで双方の民族意識が前面に出て、お互いに不信感をつのらせています。政治や経済はその時の自国の都合や利益によって変動します。しかし、歌や映画、文学、スポーツなど文化交流をしっかり続けていけば、政治、経済のちょっとした都合によって交流が途絶えることはありません。

 今回の紫金草の合唱団も、その一端になるのではないかと思い、みなさんに紹介しました。合唱を聴いて、日本人の中にも、このような人がいるのだ、ということを初めて知った人も多かったようです。紫金草は67年前に、1人の日本人の良心が燎原の火のように広まったものです。日本語を専門に学んでいるみなさんは、歌の感動と紫金草の心を多くの人に伝えてください。

 紫金草は毎年春、南京市内のあちこちでたくさん開花します。市内の道路わきや空き地、城壁の麓などいたるところで見られます。中山陵近くにある植物園には群生地もあります。ここでは、紫金草のお花畑の中で、親子連れや若いカップル、それに結婚式の記念写真などを撮る人たちで賑わっています。

 私はお花畑の中にいた人たちに、この花の名前と由来を知っていますか、と訊きましたが、だれも知りませんでした。花の名前と由来を少しでも知ってもらえれば、楚々とした紫の花は、ぎしぎし軋む日中間の潤滑油に、双方の人々の奥底にあるわだかまりを溶かす清涼剤に、なるのではないかと思います。

200663