一、紫金山の麓のめぐり逢い

               

1939年の春、日本陸軍衛生材料廠の廠長である山口誠太郎は、日本の陸軍大本営の命令で南京にやって来た。彼の任務は日本軍の作戦の最前線における医療衛生の需給状況を視察し、また野戦病院の医療活動を指導することで、特に日本軍が立てた“現地調達”の方針に基づいて占領地での薬品、医療機器及び化学品の生産を促すことだった。

彼は1888年に茨城県で山口兵助の長男として生まれた。彼の家は石岡灰吹屋薬房という1648年創業の当地では有名な漢方薬店で、家が裕福なおかげで彼は良い教育を受けて育った。東京帝国大学で薬学を専攻して修士号を取り、ドイツに留学してベルリンの物理化学研究所で博士号を取った。小さい頃から薬物研究の方面で大きな仕事をしたいと思っていて、1928年に陸軍科学研究所に入り、衛生材料廠の廠長を務め、19378月に陸軍薬剤少将に昇進した。彼は自分の医学の知識を使って人類の幸せに尽くしたいと考えていて、戦争の渦に巻き込まれることなど夢にも思っていなかった。

彼は南京に来るのは2回目だった。最初は19127月、大学2年生24歳の時で、夏休みに中国人の同級生の王昌春の招きで上海から南京を旅行した。清朝が滅亡し、孫文が臨時大総統に就いて中華民国の独立を宣言した頃である。南京の名所を見て回った時、明の孝陵の石像の前で写真を撮り、その後大切に保管した。南京の紫金山と故郷の筑波山は山の形がよく似ていた。数日前に上海で二人は卒業後初めて出会ったが、山口は日本の軍人、王は被侵略国の南京の市民で、何ともばつの悪いものだった。王は山口に日本軍の南京攻略の様子を詳しく語ったが、その内容は山口が想像出来ないほど酷いものだった。山口が信じられないという様子を見せると、王は用意して来たイギリスのマンチェスター報の記者ティンバリーが書いた戦争とは何か、日本軍の中国での暴行の日本語版を見せた。そこには記者が撮った多くの写真もあった。その記者は自分の見聞きしたことをイギリスに報告し、日本軍に拘束されたが、それでも日本軍の暴行の証拠となる物を集め続けた。それらは19386月に英国で出版され、国民党国際宣伝部はそれを中国語、日本語に翻訳した。日本語の訳本には日本人が撮影した写真も20数枚付け加えられていた。

彼はそれほど厚くない本を一通り見て、その酷さに心が重くなった。写真の多くは日本人が中国人を惨殺する場面だった。日本で聞かされていた事とあまりにも違う酷さに、信じられぬ思いがして、直ぐにも南京に行って自分の目で見てみたいと思った。日本軍は南京占領後、新たに華中派遣軍を組織して司令部を上海から南京に移し、華中地区の日本軍の指揮を執っていた。日本から派遣された将校や兵士は光華門で戦時教育を受けたが、そこは南京攻略戦で激しい戦いが繰り広げられ、日本が最初に攻略した地点だった。山口は市街を一目見て、自分がかつて見た様子と全く違うことに戸惑いを感じた。「戦争は人の命を奪い、人類の文化遺産を破壊する、何という事だ。」彼が荒れ果てた土地に立ち尽くす姿を撮った写真を息子の山口裕は大切に保管していた。

彼は南京市内の薬品生産工場を見て回ったが、国民党政府の薬房は全てひどく破壊され、目に入る町の人の表情は恨みと怒りに満ちていた。薬は日本の兵隊を治すためのものだが、彼らは一体何のためにここへ来て戦っているのか。この戦争は一体何なのか

ある日、彼は南京の東の郊外に行こうと思った。昔そこの石像の前で写真を撮ったことがあったのだ。石像は昔と変わらずに立っていたが、周りは寂しくなっていた。坂を登ると一面に紫色の花が咲いているのが目に入った。その時、突然、6,7歳の少女に出会った。彼は優しく彼女に話しかけたが、彼女はしばらく立ちすくみ、やがて摘み取っていた花を恐る恐る彼に差し出すと、さっと逃げて行った。こんな小さな子供までが日本人を恐れ、恨んでいる。日本の軍人は中国で何という事をしてくれたのだ。花は昔から日本人を幸せにしてくれた。ある者が「山川草木全て敵なり。」と言ったそうだが、全くとんでもない事だ。山川草木は大地の精霊だ。何の罪があるというのだ。花には命があり、言葉がある。この世の花は全て人とつながっている。古代ギリシャ人はバラに愛を、中国人は梅の花に高潔な人格を、日本人は桜の花にはかない命を感じて来た。目の前にある紫色の花は戦争で罪もなく亡くなった人たちの魂を現わしているのではないのか。彼の息子の裕は「父はこの小さな花に良心と心の奥深くにある悔悟の念を呼び覚まされたのでしょう」と語った。

彼は2週間の視察の後に軍艦に乗って九江に行った。そこでは戦いで腕や足を失った若い日本兵を沢山見た。彼らは「天皇陛下の為・・」「お国の為・・」と叫んでいた。日本の将校は「焼き尽くせ、奪いつくせ、何をやっても構わん・・」と訓示していた。そこにも紫金山と同じ紫色の花が咲いていた。彼はあの少女のことを思い出していた。

武漢では日本軍は3万人の死傷者を出していた。彼の考えは煮詰まって行った。「この戦争は必要ないものだ。中国は一つの主権国家だ。何故よその国で戦うのか。日本人は何故自分の国を建設しようとしないのか。人を殺して何になる。人道に反しているではないか。」彼の言葉は周囲のものからは異端視された。

ある時、彼は軍医と捕虜の殺害について議論した。彼が言った。「国際法では捕虜は殺してはいけないことになっている、これが天皇の軍隊のすることか。」軍医は答えた「捕虜は生かしておくとやがて日本人を殺しに来る。国際法は日本人が殺されないように守ってくれるのか。」

また、彼はこう言った。「この戦争はいつまで続くのか。戦争は雪だるまのようなものだ。転がるにつれて大きくなり、やがてはじけて粉々になった時は双方が傷ついて残るだけだ。」戦友たちは彼をなだめて言った。「君は時世が読めていない。目を醒ませ。今は天皇陛下の言葉を聞かねばならない。君は危険な目に遭うぞ、言葉に気をつけることだ。」

帰国する前に彼が南京郊外のあの紫色の花の咲いていた辺りを訪れると、紫色の花は既に無く、黄色や白色の花が一面に広がっていた。彼はうずくまって紫色の花の種を拾い集めて背嚢に入れ、日本に持って帰ることにした。「お前たち、日本で育ってみたいだろう。」彼はあの女の子がいないかと辺りを見回したが、紫金山が黙って立っているだけで、ちょっとがっかりした。紫金山と筑波山は兄弟の山なのに、どうして今は敵対しているのだ。また紫金山を見ることがあるのだろうか。人生は短い、先のことは分からない。

  

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