日本語訳・要約者 後書き

 

私が大門高子氏から送られて来た本書の原著である“紫金山下二月”(中国語版本文B5330ページ)を受け取ったのは2020116日のことである。2017年に小説“平和の花 紫金草”を翻訳した時のことが思い出された。あの時は半年以上かけて毎日図書館に入りびたりで作業をしたのだが、またあれと同じことをするようなのかと身構えてしまった。しかし、前回が小説だったのに対して、今回はドキュメンタリー(実録物)だということで、少し趣きが異なっていた。事実を忠実に述べてあって、創作的な部分はほとんどなかったので、全部翻訳しなくても内容の要約だけでよいのではないかと思った。とはいえ、そんな作業はこれまでやったことが無かったので、どこまで要約出来るのかはやってみなければ分からなかった。組曲“紫金草物語”の楽譜に出て来る歌詞、中国人が書いた詩歌、その他大筋に影響なかろうと思われる抒情的表現は文章を短くするために意識的にカットしたのだが、削りすぎて著者の言いたかったことを十分表していないのではないかという懸念が付きまとう。一方、著者或いは話し手が言いたいと思っているに違いないと思う部分はほとんどそのまま直訳したのだが、こうしたやり方でよかったのかどうか、自分でもよく分からない。始める前は3040ページに納めたいと思っていたのだが、結局、中国語でB5330ページのものが、日本語でA454ページになった。長くなり過ぎたかも知れないが、ご容赦願いたい。

本書を読んで思ったのは、中国では今や紫金草の故事が我々の想像以上に注目を浴びて来ているということである。例えば“紫金草行動”なるものは、言葉には聞いていたが、どんなものなのか私には未だ実感が伴っていない。山口誠太郎氏は紫金草の種を実際に土の上に撒いて行ったのだが、この本によれば、新しい運動ではコンピューターの上で紫金草のマークを撒いて行くようだ。だとすると、それは世界中に広めていくことが可能だ。壮大な計画である。紀念館の新館長の張建軍氏は斬新な発想の持ち主のようで、彼の発案で色々な運動が展開されつつあるし、更に南京理工大学など他の人たちも動き出して、大きなうねりが起きているように見える。

南京大虐殺という歴史上の大事件は、日本国内ではかなり知られるようにはなったものの教育の怠慢で若い人にはあまり知らされていないが、中国を始め世界では広く知られつつある。このままでいくと、南京での動きが更に発展して行って、日本人が海外の人に事実をつきつけられ、それを右翼が必死になって否定して回るという情けない事態が出現するかも知れない。そうならないように私たち日本人が、自らの力で日本人に知らしめることが必要である。そう考えると紫金草合唱団の活動は依然大きな意義がある。

一人の人間の力には限りがあるが、多くの人々の力が合わさると大きな力が発揮される。山口誠太郎氏は紫金草の種を撒くことだけを考え、息子の山口裕氏は父の遺志を継いで種を撒き続けた。そこへ大門高子氏が現れてそれを歌にして紫金草合唱団を立ち上げ、毎年のように南京で公演して来た。山口誠太郎氏はそんなことは夢にも思わなかったであろう。更に中国人の陳正栄氏が現れて、これを小説に著した。山口裕氏はこれを事前に想像出来ただろうか。更に南京では南京理工大学や虐殺紀念館などが中心になって市民の間で紫金草行動等の新しい運動が展開し始めた。これは大門高子氏も予期していなかったことであろう。

前回、小説“平和の花 紫金草”を翻訳した後、私はこれが将来映画になれば面白いのになあと考えたことがあったのだが、誰にも言わずにいた。今回本書を読んでいく内に、著者の陳正栄氏も同じことを夢見ていることを知って嬉しくなった。人間が考えることはどこでも同じだなあという気がした。実現するかどうか分からないが、中国人は動き出すと早いから、仮に出来るとしたら多分中国人に先を越されるであろう。

本書は、紫金草合唱団及び紫金草に関心を持つ人達には是非目を通してもらいたい内容に満ちている。ここまで調べ、まとめ上げた著者の陳正栄氏の労苦に感謝する。本書と合わせて前回翻訳した“平和の花 紫金草”も読んで頂ければ、より理解が深まることであろう。そのことを願って今回の作業を終わることにする。

        2020226

紫金草ネットワーク 中野勝(広島合唱団)

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