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私が最近大門高子に会ったのは20181213日の朝である。侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館が第五回国家告別式に我々を招待したくれたので、紀念館の広場で出会った。大門高子が尋ねて来た。「あなたのレポート紫金山の麓の二月蘭はどれくらい書けました?」彼女は私のレポートの事を覚えていてくれたのだ。何と心ある人なのか。 2018年の春に南京で彼女にインタビューした時、私は彼女に紫金草の故事の前後の事実をレポート紫金山の麓の二月蘭としてまとめるつもりだと話していたのだ。彼女が言った。

「良い事ですわ。紀念館が今回も私に詳しいインタビューをするのは、口述記録を残したいからでしょう。私たちは年を取ります。紫金草の事実を詳しく記録して今の人に、また後世に何かを残したいです。」

私が、紫金山の麓の二月蘭はもうすぐ書き終わるので、紫金草合唱団の写真を何枚か頂きたいと言うと、彼女は直ぐに、日本に帰ったらすぐ送ると言ってくれた。また、紀念館の花園はもう見たのかと問うと、彼女はもう見たし紫金花の少女に千羽鶴を捧げたと答えた。彼女は紫金花の少女を生き生きした生命ととらえ、美しい祈りを込めている。丁度その日の朝、私は紫金草の花園に行って紫金草と紫金花の少女を見て来た所だった。私はまた尋ねた。「東京の紫金草も新しい芽が出たことでしょうね。」彼女が答えた。「我が家の紫金草はもう新しい芽が出ました。毎朝見てるんですよ。この間筑波山の麓を通ったのですが、一面に青々としていました。」

今では、毎年春になると紫金山の麓には二月蘭が、筑波山の麓には紫金草が咲く。名前は違うけれど、それらはほとんど同時に花開く。その花にまつわる話は今でも伝わり続けている・・は大門高子に尋ねた。「紫金草合唱団は今度いつ南京に来るのですか。」

彼女が答えた。「来年紫金草が咲く頃です。来年は紫金草が日本に根付いて80周年になります。私たち必ず紫金草の故郷に来て歌います。」

彼女の言う来年とは2019年の清明節のことである。窓の外は既に春の陽が射している。もう一か月もない。大門高子は紫金草合唱団を引き連れてまた南京に現れる。

その時、彼らの歌声がまた南京の紫金山の麓に響き渡るだろう・・

 

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