金山の麓の二月蘭

 

要約

 

 

中国語版原著  陳正栄

日本語訳・要約 中野勝

 

本書は中国人ジャーナリストで作家の陳正栄氏が著したドキュメンタリーを、紫金草ネットワークの一員である中野勝(広島合唱団)が日本語に翻訳・要約したものである。

 

南京の紫金山の麓に二月蘭という野の花が咲いている。日本の侵略戦争の頃、一人の日本の軍医が戦争への反省と平和への想いを込めて二月蘭の種を日本に持ち帰り、紫金草と名付けて平和の花とした。戦後、その軍医は家族と一緒に日本のあちこちに紫金草の種を撒いて行った。今では紫金草は日本のどこにも根を生やし、花を開き・・



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目次

 一、紫金山の麓のめぐり逢い

 二、紫金草と呼ぼう

 三、紫金草を歌う

 四、歌を携えて南京へ  

 五、和平園の二月蘭

 六、紫金花の少女         

 七、絶えることのない“春の約束”  

 八、紫金草行動  

 九、心は二月蘭に

    結び
     後書き

 
   日本語訳・要約者 後書き         

 

 

                    前書き

二月蘭はありふれた花であるが、色々別名があり、これについて書かれたものもある。諸葛菜については次のような文献がある。清代の呉其浚の“植物名実図考”,宋代の詩人李廌の“諸葛菜”、清代の南京の詩人陳作霖の詩“減字木蘭花・諸葛菜”、現代の作家季羨林の“二月蘭”、燕園の宗璞の散文“送春”、童話“花の話”などである。

紫金草について、筆者は東京北の丸公園の桜の下に咲いていた紫金草、南京で歌われた  “紫金草物語”、大門高子と山口裕との出会い、軍医山口誠太郎の故事、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(以下、南京大虐殺祈念館、祈念館などと略称)の庭の塑像紫金草の少女を見聞きして、それらに強い関心を抱いた。本書はこれらの事実に関する報告である。今では多くの中国人が二月蘭を紫金草と呼び、その花を紫金花と呼んでいる。