第11次紫金草合唱団
海外公演(台湾)
 
       日 程  2015.8.8〜9(旅程8.7〜8・11)

                      訪台団 61人(舞台54人 サポータ5人 添乗員2人)

         公 演    8.8 台北駅5階演芸庁

                8.9 台南新化演芸庁 
                       

 
 今次公演は紫金草合唱団として初めての公演で、台湾の歴史や政治、日本との関係などであまりにも知らないことが多く、事前に書籍や映画などで日本の植民地時代を含む台湾の歴史学習などに積極的に取り組みました。

 1日目の夕食は主催団体、協力団体による熱烈な大歓迎会となり、歓迎の挨拶や少数民族の方の歌、全員での「平和の花紫金草」や「海よふるさと」など合唱で盛り上がりました。

 台北公演

 台北では台風13号の荒れるなか約350人の参加で1回目の音楽会が開催され、54名が紫金草物語を演奏しました。舞台両袖のスクリーンには紫金草物語の中文歌詞が投影され、客席前列の抗日経験の幸存者らの招待席で曲に聴き入るご高齢の方の姿が見られました。地元の合唱団などの演奏も素晴らしく又、紫金草物語を聞いて感動された合唱団から、我々団員全員にプレゼントが届けられるなど感激させられました。台北では3つの合唱団などと共演しました。



日本紫金草合唱団
スタッフは兵士:伊藤 少女:中川 母親:山野下 朗読:中野


  波とうの声合唱団 
  亜特愛楽合唱団
   包容老師
歌唱に合わせて描くバラの絵と字は見事
  大愛の声合唱団



  台南公演  
 玉井村新化演芸庁の正面には「タパニー事件100周年記念」の幟が多数立てられたホールで第2回目の音楽会を行いました。地元の3つの合唱団は、各種コンクールで賞をとるなどレベルが高く、それぞれ個性豊かでしっくりした気分で聞けました。
 
 日本紫金草合唱団
スタッフは兵士:宇都宮、母親:今井 少女:長谷川 朗読:中野。
ホールには歌詞投影装置はなく中文訳の紫金草物語が配布されました。

文元國小合唱団 
日本語で「気球に乗って」をきれいな声で
歌いました。
包容老師 
台北公演と同じ、2人で演じ歌に合わせて絵を描く妙技
台南頌音合唱団  
多芸な指揮者の自作自演のうたもありました。
 麻豆愛楽合唱団
少数民族の音楽ムードの溢れたリズムや迫力ある声が響きました。


 交 流      
   台南公演フィナーレ舞台で文元國小生徒
プレゼント。喜んでくれました。
 第2回目公演後の夕食会場につくと麻豆愛楽合唱団員の大歓迎を受け、「海よふるさと」や日本の動揺など多数の曲を合唱で交流
 前日の台風で夕食の食堂は停電のため別室へイスや料理を運んでするというトラブルもありましたが、なんのその、麻豆愛楽合唱団員がうたごえで迎えてくれて、楽しい大交流会となりました。
 
玉井村では、平和の誓い、紫金草運の種をまき、紫金草を合唱しました。
「種をまく,田んぼのあぜや道端に・・・」
   植民地支配の圧政に耐えかねた住民の武装蜂起は5000件も発生。「玉井事件」は「霧社事件」につぐ最大級事件で、見せしめのため村民皆殺しを図った。事件の英雄:余清芳らを祀る、吉井忠烈廟の前で「祈り」を歌いました。
    戦士のひ孫にあたる方からの手紙が読まれた。
「事件について日本から謝罪に来たと聞き、憤慨を覚えた。100年たってからでは遅すぎる。けれど来てくれて気持ちは鎮まりかけた。日本が軍事政権に走らぬように願います。(後に手紙の訳文)
玉井村の竹間さん
 日本統治時代、4年生で終戦になった。.日本語は上手、歌える歌は多い。教育勅語は今でもペラペラといえる。
 親戚の名は簡建忠だが親は日本語名を強制され、「簡」の字を上下に分けて「竹間」と付けた。親は役人でなかったから苗字だけで下の名はつけさせてもらえなかった、と植民地支配の一端を笑って語ってくれた。
   (延泊コース)
霧社事件の生き残った人らがながされた清流部落。郷町(村長)さんが霧社事件資料館の案内や歓迎のあいさつ。 
 昔のことに詳しいおばさん(右)。日本語が上手。
 ここに住む霧社事件の末裔の方らから、浴衣姿で歓迎され、清流風山の幸バイキングや東京音頭など一緒に踊って交流。
霧社事件の現場、山岳部にヘアピンカーブをバスで上がり、頂上にある英雄:モナ・ルダオの廟の前で「祈り」を歌い、塔の前での写真、
 事件の起こった小学校の跡(今は電力会社の寮)も見学しました。



レニーさんの手紙

 

  2015年8月10日 玉井村にて
西来庵事件の犠牲者の家族から手紙


@ 西来庵事件、日本人によって大虐殺され、100年が経ちました。
西来庵事件の犠牲者の家族は、悲しみを抱えています。
 今回、日本人がお詫びに来たいという。とても憤りを覚えました。
私たちは、心の中ではとても憤慨していますが、しかし我々は謝罪にくる方々を歓迎しなくてはならない。

A 考えてみてください。
もしあなたたち日本人が、統治者によって大虐殺されました。
100年後やっとお詫びに来て、『歴史を忘れず、平和に向けて、友情を促進させよう』という。
あなたたち日本人はどのように感じますか?

B 紫金草合唱団は、民間として謝罪に来ました。
100年が経ちました。とても遅い、遅すぎるけれど、私たちは謝罪に来た、紫金草の種を蒔きにきた方々を激励します。
『魂を慰め、平和に向けて邁進しよう』
犠牲者の家族たちには、やはり受け入れがたいですが、あなた達の謝罪により、私たちは少し気持ちが鎮まり、少しずつ受け入れようと思いました。
あなた達は日本政府に、決して軍事政権に走らないよう、阻止してください。それにより、本当の平和があります。

C 私たち台湾人は謙虚で、個々が平和を願う民族であります。
『平和・友好』があってこそ、本当の許しが得られるのです。
 (翻訳は日中平和観光の佐藤洋子さんにお願いしました)