瀋陽と撫順戦犯管理所取材の旅

ー紫金草物語に次ぐ作品を目指してー

団長:大門高子 2009年4月14日〜16日 13人

  満州は主に中国の東北3省の地域で瀋陽撫順もここにあります。日露戦争後、日本は関東軍と満州鉄道会社などで支配を強め、1928年奉天軍閥指導者張作霖の爆殺事件、1931年9月18日柳条湖鉄道爆破事件(満州事変)を起こし満州を支配下に置き、1932年9月15日、撫順炭鉱を占領していた日本軍は抗日軍との蜜通を名目に、撫順平頂山村など400世帯3000人の住民を集め機関銃で虐殺、住居を焼き払うという「平頂山事件」を引き起こしました。1932年に満州に傀儡国家を樹立して後、中国人には日本語教育など「奴隷化教育」などを進める一方、満州国維持の軍事的目的と、国内農村の窮乏の緩和を目的に,30万人にのぼる農業移民団=満蒙開拓団を日本から送り込み、1945年日本の降伏・終戦まで14年間この地域の支配を続けました。

 九・十八歴史博物館

柳条湖事件の現場跡

 この広場には「九・十八歴史博物館」、「9・18残歴碑」、「抗日戦争勝利記念碑」、鐘楼などが建つ。写真の中で□の部分は倒してある。

 

 九・十八歴史博物館

 柳条湖事件の現場跡にたてられた。  平頂山事件や偽満州国についてなどの展示。「731」「100」の細菌部隊の生体実験の模型や細菌兵器の実物。数々の抗日運動の記録などが展示されていた。(写真は記念館パンフより転載)

入り口右側 犠牲者を彫りこんだレリーフ

1931年9月18日の残歴碑

  不亡歴史  この日を忘れまい!

 

侵略者日本が建てた英霊塔

 1932年7月に侵略者日本が建てた英霊塔が踏み倒して置かれてあった。立場の違いが象徴的だ。 

碑文には「靖国神社をここに分祀する」「世界平和のために、ここに英霊を祀る」などかかれていた。

 撫順炭坑・平頂山惨案記念館

撫順炭坑

撫順露天掘炭田 (写真は北側斜面)

 日露戦争後の処理で、日本は中国から撫順炭坑の採掘権を手にし、満州鉄道が管理していたが、日本軍への現地住民の抵抗は続いていた。

 撫順露天掘り炭田(写真は 南側斜面)

東西7km南北4kmのすり鉢型、砂利を積んだ列車が長円のスパイラルを描いて上っていく。今年で閉山し、来年から観光娯楽施設にするという。

  

 平頂山惨案記念館

1932年9月16日、撫順炭鉱を占領していた日本軍は抗日軍の襲撃にあい5人の死者が出たことから、村民と抗日軍との蜜通を口実に、撫順炭田に隣接する平頂山村などの村民を皆殺しにしたという「平頂山事件」の記念館である。

  

 

 玄関のレリーフ

  犠牲者の屍が彫り込まれている。

 

平頂山事件の展示模型

 模型の中で、右は平頂山村、左は虐殺直後の様子、手前横方向に並んでいるのは銃列
(写真の特に明るい部分は照明の都合による)

遺骨陳列室

  全長80m、元事件現場に建設されている。

 地面の上層部から発掘された800体の遺骨

瀋陽撫順の訪中団13人は、見学でショックを受けながら、黙祷をささげ、献花。

 

  撫順戦犯管理所

 戦犯管理所は旧日本軍が建てた監獄を利用したもので、日本の占領支配に抵抗した人々が収容され、拷問や虐待で多勢が命をうばわれました。終戦後の1950年シベリヤに抑留されていた日本人「捕虜」(元日本軍将兵)の中から中国で重罪を犯したものら969人が旧ソ連から中国に「戦犯」として移管され、ここに収容されました。しかしここでの戦犯政策は「撫順の奇跡」と呼ばれ、連合国各国が行ってきたような報復的な「勝者の裁き」ではなく、罪を犯した者を人道的に扱い教育によって新しい人間に甦生させる周恩来の「改造」という政策にもとづいて行われました。受け入れのために獄舎の壁は白く塗り変えられ、暖房用配管・大浴場・医療室も設けられました。捕虜から戦犯への接収の中国の代表団に周恩来は次の指示を与えました。「戦犯の人格を尊重し、侮辱したり殴ったりしてはならない。一人の死亡者も逃亡者も出してはいけない」と。職員たちも「戦犯たちは処刑される心配をし、ボイラー室の建設中を見ると「死刑部屋」と疑ったり、健康診断や治療を受けるときは「細菌実験」をされると思いました。

 戦犯管理所の職員も、残忍な日本人への仕返しを考えていたため、「温和な態度で」などという指示に、憎い日本人になぜこうも厚遇し人道的に、しなければならないのか、納得できませんでした。しかし個人の恨みを切り離して上の指示通りに、日本人戦犯に接していきました。戦犯たちは次第に、中国人被害者の痛みを感じるようになり、職員への侮蔑の感情も消え、今度は「鬼から人間へ」返る努力をし、そして、「二度と戦争はするものではない」と、人間性が180度変わって、日本へ帰っていったということです。

  これを題材にしたドキュメンタリーであるハイビジョン特集「“認罪”〜中国撫順戦犯管理所の6年」(日本放送協会/NHKエンタープライズ/テムジン 2008年11月30日放送)が、日本で最も権威のある番組賞であるギャラクシー賞の08年テレビ部門大賞(最優秀賞)をとっています。

戦犯管理所玄関

 中に展示室があり、その奥には60年前に使われていた管理所が鍵をかけて保存されており、我々の見学のために10人1週間掛けて大掃除をして食らえたという。

記録写真

 文化体育娯楽活動

 食事・医療など厚遇された

収容室

   医務室・理髪室・厨房・ホール

   などもある。

皇帝「溥儀」もここに戦犯として収容されていた。その部屋は同じつくりでいくぶん皇帝用の配慮があった。

聞き取り会場

平頂山事件・戦犯管理所職員の幸存者からの証言聞き取り

5名の幸存者が集まって下さり証言を聞く

 

平頂山事件幸存者

戦犯管理所 看護婦 幸存者

平頂山事件幸存者

幸存者・平頂山事件記念館職員・撫順戦犯管理所現職員・見学者その他の関係者など

  今回の取材では、1931年9月18日柳条湖事件のあった場所に戦後立てられた「9・18歴史博物館」1932年「平頂山事件」の「発掘保存現場と記念館」、「」を見学し、「平頂山事件」の幸存者、「撫順戦犯管理所」のもと職員ら5人からの証言を聞くことが出来ました。

  大門さんは今この話を題材に紫金草物語に次ぐ作品を作りたいと意気込んでいます。さあどんな作品が出来てくるでしょうか。今度はどんな花が咲くのでしょう。